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2005年8月15日 (月)

「不毛地帯」と「幾山河」

私は本を捨てられません。
本ではありませんがつい最近まで小学校や中学校の教科書もありました。
さすがに部屋の中がすごいことになってきたので、部屋の整理・・・というより本の整理に着手し始めたのは確か数ヶ月前。
いざ始めると、一度は手放そうと決めたのに
「最後にもう1回読もう」
ということになり遅々として進まないのですがそれでもなんとかダンボール箱7個くらいになったのでいよいよラストスパート。
いま読んでいるのは山崎豊子の「不毛地帯」と瀬島龍三の「幾山河」。
「不毛地帯」は瀬島龍三をモデルとして書かれた小説ですが、私が「幾山河」を手にしたのは別の理由から。
瀬島龍三氏は私が卒業した大学の理事をしていたので、この本を見かけたときに
「そういえばどんな人だったんだろう」
と手に取ってみたのでした。
今思えば大学生にもなって「どんな人なんだろう」も何もないような気がしますが、その頃の私は一芸一能入試で拾ってもらったくらい学力も教養もない学生でした。(いまも同じ、という突っ込みはおいといて)
「不毛地帯」は、以前NHKドラマ「大地の子」を見てから山崎豊子を読み始めたときに手にとりました。
そんなわけで別々に手に取った本ですが、「不毛地帯」を読みつつ、ときどき「幾山河」に目を通すという感じで読み進めています。
「不毛地帯」では暗躍した戦後防衛庁の戦闘機導入の件は「まったく関係ない」の一言で終わっていたりということを読むのも興味深いものですが、それ以上にソ連抑留時代の件については読み進めるのもつらい状況です。
ソ連に抑留されたときだけではありませんが極限状態で取る人間の行動と、生き残った人のその後の人生や残された家族たちの人生は・・・と今も何らかの状態で続いているであろう戦争の影を思うと涙がこぼれそうになります。
それに、戦後商社に勤めた主人公や周りの人々ががもらす「国益につながるか」という言葉。
日本のために仕事をしていた人たちがいたからこそ、いまの日本があるんだ。
(その後の評価は別にして)

というわけで、読み進めながらすっかり小説と回想録がごちゃまぜになっていますが、いろいろなことに思いを馳せている戦後60年の夏です。

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